明治時代に入るまで、日本の医学と言ったら<漢方医学>でした。
明治政府の政策により、<漢方医学>は廃止の一途を辿ります。
<日本の病院の歴史>についての文献から当時の様子が垣間見られました。
I.江戸時代の医療と病院
江戸時代の医療は<漢方>が中心で、自宅療養している病人を医師が往診し、薬を処方する方式が一般的でした。その頃の日本には、患者を入院させて治療するという概念がなく、病院はありませんでした。
例外は、1722年に徳川吉宗によって薬草園とともに設立された「小
石川養生所」で、ここでは、貧しい病人を収容して、投薬、看護していました。
『大岡越前』『暴れん坊将軍』を観ていた方はイメージがわきますね?
<漢方>には外科はなく、
鎖国体制の元で、オランダの医学書を学んだ者が外科手術を試みたに留まりました。(1774年「解体新書」の発行)→<蘭方医>
日本で最初の西洋式病院は、1861年で、オランダから派遣された海軍軍医ポンペが長崎に開設した「長崎養生所」でした。
II.明治時代の医療制度と病院
幕末から明治初期
幕末の戊辰戦争において、戦傷病者を治療する救急現場では<漢方医>に対応できないことが明らかとなり、西洋医学を学んだ医師が外科処置を行う、臨時の戦時病院が各地に設置されました。
確かに、江戸時代は終盤になるまでは天下を二分するような戦争はありませんでしたね。
西洋医学の外科は、戦争とともに発達したのも確かです。。。。
<参考文献>
地域の医療介護入門シリーズ
地域の医療と介護を知るためにーわかりやすい医療と介護の制度・政策―
第3回 日本の医療制度の特徴は、その歴史から生まれた(その1)
―明治時代における日本の医療制度と病院―
第63巻 第11号「厚生の指標」2016年9月
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