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私の母は毒親だったのか?②

かつての我が家


母 昭和7年生まれ

7人姉妹の長女(下に6人の妹、男兄弟なし)

終戦時 13歳、

電気工事屋を経営する両親の下、家長として育てられたお嬢さん

周囲はイエスマンばかり、なんでもきいてくれる

自分の言うこと、したいことは、なんでも通る、通す


私は そんな母に育てられました



他人は我が家を

かかあ殿下

旦那さんを尻に敷く

と言いました、、、


そんなもんじゃない!


母は、家庭を 家族を支配していました


母の誕生日は一月十六日

閻魔の釜の蓋が開く日、地獄の休暇日


’だから、、、

私は何をやっても許される!

世の中は私を中心に回っている

私の言うことをきいていれば間違いはない


あなたも言うことをききなさい!’


もの心つく前から、コロコロ感情の起伏が激しい母の顔色を 過敏に察知しながら育ちました、、、、、

母の地雷を踏まないように

ビクビクと緊張感のある家庭


社会に出てからも

今もその癖は抜けません

孫のいる世代になってもです


相手の言葉に、その先々を読もうとして過敏になり

一人で空回り

勝手に気を消耗する

実際に動悸がする


母は3年前に この世を卒業していきました


母の半生を書いたものが残っています

母も、その両親から支配される家庭で育ちました


私は家庭をもつことを避けました

子供に同じ思いをさせたくなかった

私には、そうならない自信がなかったから


次兄は、母と縁を切って出ていきました


その兄のところに、姪や甥がいるとのことです

私は会ったことはありません

両親に孫がいることは、私の気が少し楽になります


緊張のある家庭に育ち

自己肯定感は低く

疑心暗鬼

不安神経症傾向


これが、漢方医学・漢方薬に出会うきっかけになりました


必然だったと信じています





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